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Gオモフ:クラウンスクール①表現者としての価値

肌寒いくらいの今日も、スクールの稽古場は参加者の熱気で冷房が必要なくらいだった。

クラウンのクラスでは、さまざまなレッスンが行われる。
45分間のウォームアップに始まり、ジブリッシュ、即興、ムーヴメントー。

クラウンの課題(ジャグリング、パントマイム、バルーン、クラウニング)に入るのはまだ先。

その前に、「演じる」ために必要な回路を磨く。
表現に必要な「神経」の通りを良くしておく。

自分とココロは同じではないこと、カラダの構造と機能を混同しないこと、リラックスと集中は根性論では補えないコトーなどなど、学ぶことは山ほどある。

そのあたりを体感できるようになってから、はじめて「演技」に関わっていく。
クラウンの「ふり」ではなく、クラウンとして生きて欲しいから。

その「表現」がふさわしいかどうか、面白いか、価値があるか否かは、演じ手が決めるものじゃなく、観客にゆだねられるものだ。

だから、演じ手自身で自分の(表現の)価値を決める必要はない。
となると自分にクラウン(もしくは表現者)としての資格が自分にあるかどうかを考えるのは、それ自体、意味がない。

それよりも「練習」し、「経験」を一つでも多く積み、半歩でもいいから進化することだ。
知ってるかい?
一本でも多く作品を残すことは、クラウン芸術の未来に対する、大きな貢献なんだよ。

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